

文化財ハイキング
耕余塾・養命寺コース

明治中期、横浜の師範学校内に設けられた中学校と並び、県内屈指の中等教育機関として名高った小笠原東陽主宰の私塾「耕余塾」、その史跡を中心に周辺の文化財を訪ねるコースです。
城神明社は中世の伊勢神宮領大庭御厨ゆかりの神社です。城を「たて」と読みますが、この近くに当時の在地武士の館があったと考えられています。
城神明社は中世の伊勢神宮領大庭御厨ゆかりの神社です。城を「たて」と読みますが、この近くに当時の在地武士の館があったと考えられています。
1.辻堂駅北口
バス7分
2.バス停 汲田
徒歩2分
3.汲田墓地
徒歩3分
4.羽鳥御霊神社
徒歩5分
徒歩10分
徒歩1分
徒歩13分
8.本願寺
徒歩2分
9.柏山稲荷神社と厳島千人力弁天社
徒歩15分
10.城神明社
徒歩7分
11.バス停明治小学校前
バス10分
藤沢駅

耕余塾跡
耕余塾は、明治5年(1872)3月、羽鳥村の廃寺徳昌院の庫裏を校舎として、名主三觜八郎右衛門が儒士小笠原東陽を招いて開設した「読書院」に始まります。明治6年には、「学制」に基づく小学校が羽鳥にも設置されますが、読書院は私塾として継続し、明治11年には、入塾者増加のため、新校舎を落成、「耕余塾」と改め、明治30年まで続きました。門下生には、東陽の人格と塾の学風を慕って、遠方からの入塾者も多く、後の首相吉田茂、町医者にして自由民権運動家であった平野友輔らの名が連なっています。