安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三弁天とされる。欽明天皇13年(552)に岩屋(御窟)に神を祀ったのが始まりとされ、御窟を本宮と
建永元年(1206)に源実朝が鎌倉幕府の繁栄を祈って創建した。現在の建物は延宝3年(1675)の再建、昭和51年(1976)に改修されたも
辺津宮の南隣にある八角円堂。「裸弁財天」とも呼ばれる妙音弁財天像と八臂弁財天像を安置している。妙音弁財天像は琵琶を抱えた全裸
江の島の中腹にたたずむ朱塗古社。仁寿3年(853)に慈覚大師によって創建されたといわれている。現在の権現造の社殿は元禄2年
九州の鹿児島にある高野山真言宗最福寺の別院として平成5年(1993)に創建。真紅の仁王像が守る山門の奥に美術館を思わせる
入母屋造の社殿は天保13年(1842)の再建。昭和51年(1976)に新築された拝殿の天井部分には「八方睨みの亀」が残されている。江戸時
江島神社の境内社。腰越の小動神社に祀られていた社が大波で壊され、御窟の前の海中に沈んでいた御神体を漁師が拾い、ここへ祀ったと
弘仁5年弘仁5年弘仁5年弘仁5年弘仁5年弘仁5年弘仁5年弘仁5年(814)、弘法大師がここに岩窟を掘り修行をしたという。その後、快祐上人が石籠山救法教寺を開き、延亨元年(1744)、ここで即身
昭和4年(1929)、小田急江ノ島線が開通し、鵠沼海岸駅前を中心に開発が進む中、近隣住人の要望もあって、昭和18年(1943)、京都市伏
龍の口刑場跡地と伝えられる。刑場にて処刑になった人々を弔った。本は真言宗の寺だったが、日豪上人により日蓮宗に改宗した。境内の「元
創建は養老7年(723)。信濃国諏訪大社からの御分霊を上、下社に祀ったことから始まり。後に下社は宮畑から鯨骨に、上社は諏訪ケ谷か
鎌倉時代初期の建立と伝えられているが、江戸時代の火災によって詳しい文献は焼失。享和年間(1801~1804)法印隆誉が再建した。本堂
推古天皇3年(595)、義玄和尚により開山されたと伝えられる。元暦元年(1184)11月、源頼朝により再建。「頼朝公駒止の松」と伝えられる
鎌倉時代末期に有弁僧正によって開山。何度かの火災にあうが、江戸時代に良忍上人によって再建された。境内には、春日大社の御神木とさ
本尊は日蓮上人。創建は延元年(1336~1340)。日蓮の弟子日法上人が日蓮聖人像を安置したのが始まりとするなどの諸説がある。鎌倉時
建保6年(1218)開山。真言宗の寺で、開基は鎌倉幕府3代将軍源頼朝と伝えられる。弘法大師像が本堂に安置され、境内には今にも歩き出
鳥が群がり棲んだことから「烏森神社」の名称で親しまれている、奈良時代に相模国土甘郷の総社として創建された由緒ある神社。祭神は天照
第3代玉縄城主北条綱成を開基とし、創建は天文年間(1532~1555)頃と伝えられる。渡内の観音様といわれている寺。本堂に祀られている本尊の十一面観世音菩薩立像は市指定重要文化財。
創建は建武2年(1335)祭神は建御名方富命・ハ坂刀売命・天照大神。遊行寺を創建した呑海上人が諸国遊行の際に信州諏訪から勧請した鎮
天慶4年(941)の創建といわれ、早良親王(桓武天王の同母弟)と、鎌倉権五郎景政を合祀している。宮前御霊神社の分社で川名地区の鎮守
永年2年(1506)創建、開基は初代玉縄城主北条氏時と伝えられる戦国時代に玉縄城の砦として使われていた。本堂に向かって右手墓地に
享禄元年(1528)、良元が開山した真言宗の寺。寺号を密厳山遍照院といい、本尊は不動明王立像。延宝年間(1673~1681)の頃、善龍に
嘉禄2年(1226)に北条泰時が創建したと伝えられている。当初は法泉寺と称し、禅寺だったという。元弘の変の時に、全山焼失したが本尊弥
時宗開祖の一遍上人より数えて4代目の呑海上人開山の時宗総本山。藤沢山無量光院清浄光寺が正式な寺名だが、呑海上人が正中2年
延宝4年(1676)、大山道と東海道が交差する四ツ谷辻に、不動堂が建てられた。大山不動尊の下正面に「大山道」、両脇に「是より里右大山
文治年間(1185~1190)に建立された真言宗の寺。一説には創建を天福元年(1233)、覚凌によるものとしている。江戸時代に庚申信仰が
建久年間(1190~1199)に創建源頼朝の勧請とされている。「南の寺」と呼ばれており、十一面観音を本尊とする。江戸時代に寺社詣が流
曹洞宗、大庭宗賢院の末寺。昭和2年(1927)国指定重要文化財にしていされた薬師如来坐像を安置している。男性的な力強い尊顔や勢い
曹洞宗。本尊は如意輪観音。建保年間(1213~1219)に鎌倉幕府2代執権北条義時が入道になったことに由来して、藤沢今田に瑞龍寺が
法谷山祥瑞院、浄土真宗。本尊は室町後期作の阿弥陀如来立像。もとは親鸞聖人の東国遊行時に北条氏が鎌倉常盤に建てた一向堂というお
開山は国境、開基は祖桂で、慶長9年(1604)の建立。本尊は聖観音菩薩。閻魔大王座像(像高104cm)が有名で天保11年(1840)の閻魔
この神社にある「お不動様」から付けられた不動川のほとりある神社。祭神は天軻句突知命。不幸を代わりに背負ってくれる「お不動様」が境内
建立は建久6年(1195)と伝わる。御神体の大日如来、不動は、鎌倉権五郎景政が20年に一度の伊勢神宮遷宮の際、その御柱を彫らせた一
祭神は源義朝公。一説では、戦国末期石川で勢力のあった石川六人衆によって慶長16年(1611)に勧進されたという。最初は左馬頭、次に鯖
建立されたのは700年以上前で、祭神は源頼朝公。昔は鯖明神社と称したが、いつの頃からか旧村名をとって七ッ木神社と改称された。神社
浄土宗の寺。鎌倉光明寺の開祖良忠上人が寛元3年(1245)に小さなお堂を建てたのが始まり。本尊の阿弥陀如来は市の重要文化財で、もと
浄土宗。龍玉山西光院。開山は西光上人といわれる。本尊は阿弥陀如来。境内にある筆子塚5基は寛延4年(1751)から元治2年(1865)ま
祭神は菅原道真公。元はこの地を支配していた渋谷氏が居城の中に作った社であったといわれ、周囲で空堀の跡も見つかっている。境内の
祭神は寒川比古命、源義経公。創建年代は不明だが、相模国一ノ宮寒川神社を観請した。文治5年(1189)、義経の首実検の跡、怨霊に苦し
平安時代中期にはすでにあったといわれている相模の国十三社のひとつ。養蚕の神として崇められており、「神明様」と呼ばれていら。地区名で
祭神は品陀別命(応神天王)、寒川彦命、寒川姫命で、本殿は明神造、拝殿は入母屋造となっている。一帯は寒川神社の宮地であった原野を開
かつては遠藤村の鎮守の社として人々の暮らしに根付いていた神社。本堂は富士山に面して建てられており、今でも天気のいい日は参道から富
永正2年(1505)、虚堂玄白大和和尚により開創された曹洞宗寺院。近隣の17末寺を治めた地方本地だった。本堂隣の龍骨は、その昔周辺
曹洞宗(禅寺)の名刹。このあたりはその昔、村の中心地で、草競馬などが催され、大勢の村人達で賑わっていた。広大な境内には本殿をはじ
天正2年(1574)、伊東孫右衛門により勧請。大鳥居の右側にご神木であるモミの大木がそびえており、砂利を踏みしめながら100mほどの参
住所:藤沢市江の島1-4-3 TEL:0466-22-2410 詳細を見る