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文化財ハイキング

片瀬旧道・江の島道コース

このコースでは、新林公園を過ぎたあたりからほぼ旧江の島道のルートになります。静かな昔の面影を残した江の島道を龍口寺まで歩きましょう。

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江の島岩屋コ-ス

寿永元年(1182)、源頼朝の祈願を受けて京都高雄の文覚上人が江の島に「弁才天」を勧請しました。これは奥州平泉の藤原秀衡を倒すためだったと伝えられています。

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村岡城址コ-ス

玉縄城は地区に隣接する鎌倉市城廻にあった戦国時代のお城です。このコースでは、玉縄城にゆかりの深い村岡地区の北部を散策します。

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村岡南部・御霊神社コ-ス

村岡は、柏尾川流域の低地と丘陵から成り、重なり合う岡の群れが地名の由来とされています。西端の境川は旧郡堺で、かつては相模国鎌倉郡に属していました。

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藤沢宿・遊行寺コ-ス

時宗の総本山遊行寺を中心に、旧東海道藤沢宿を訪ねてみましょう。鎌倉時代末の正中2年(1325)遊行四代呑海上人が藤沢に遊行寺(正式には清浄光寺、しょうじょうこうじ)を創建しました。

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鵠沼南部石造物探索コ-ス

このコースは潮風に吹かれながら、松並木や別荘地の風情の中にたたずむ石仏たちを訪ねるコースです。鵠沼というと―閑静な住宅街、別荘地、湘南海岸、松林―

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烏森皇大神宮コ-ス

鵠沼の歴史の発祥は、烏森皇大神宮を中心に奈良時代頃から始まり、すでに高座郡土甘郷がおかれていました。平安時代になると伊勢神宮の神領・大庭御厨に属していましたが

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耕余塾・養命寺コ-ス

明治中期、横浜の師範学校内に設けられた中学校と並び、県内屈指の中等教育機関として名高った小笠原東陽主宰の私塾「耕余塾」、その史跡を中心に周辺の文化財

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辻堂コ-ス

旧辻堂村の地域は、宝泉寺・辻堂諏訪神社近くの「四ツ角」を中心に、東町、西町、南町、北町の集落が形成されており、そこから、四ッ谷の大山道入口へ、藤沢の宿場方

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大庭城址コ-ス

大庭の地は、西部開発事業により大きく変貌しました。昭和42年度から20年をかけて終了という大規模なもので、緑深い散村風景が一変して、小学校、中学校、高等学校、

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石川・南鍛冶山コ-ス

石川は六会地域の西部に位置し、真ん中を南北に引地川が流れています。引地川西側の標高35メートル前後の台地には、北部第二土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財

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善行・滝山街道コ-ス

このコースは、境川に面した台地の麓にある立石へ坂道を下り、境川沿いの神社を訪ねて西俣野まで旧道を進み、東京都八王子市の滝山に至る滝山街道(八王子道)を散策するものです。

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西俣野小栗伝説関連コ-ス

全国各地に伝承される「小栗伝説」、その原形は、室町時代15世紀半ば、鎌倉公方と関東管領との争い、上杉禅秀の乱に関連して滅亡した常陸国(茨城県)の小栗家の御

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湘南台・六会コ-ス

昭和41年(1966)、小田急線六会~長後間に「相模野台地の南端に位置する新しい住宅地のイメージ」をもって「湘南台」と名付けられた駅が開設されました。

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長後引地川コ-ス

長後の街は、江戸時代から、八王子・町田-藤沢を南北に結ぶ滝山(八王子)街道と柏尾(戸塚区)-門沢橋(海老名市、戸田の渡し)を東西に結ぶ大山街道の交差する交通の要所でしたが、

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長後大山道コ-ス

江戸時代中期以降、庶民の間に大山信仰が広まり、豊作祈願、無病息災、家内安全、防災招福、商売繁盛などの祈願のため大山を訪れる人々は増大しました。

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用田・宮原旧街道コ-ス

南北に走る中原街道は、北は綾瀬・大和、南は茅ヶ崎・平塚へ、一方東西に通ずる大山道は「柏尾通り大山道」といい、横浜市戸塚区柏尾町から境川を渡って長後、

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菖蒲沢・遠藤コ-ス

菖蒲沢の豊受大神から遠藤の御嶽大神にかけて北から南へ縦断するコースです。コース途中の六地蔵(天保十五年[1844]建立)の在る場所は現在でも交通量の

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御所見・葛原コ-ス

葛原・菖蒲沢・用田・打戻・宮原・獺郷をこの塚にちなんで御所見地区と呼んでいます。御所見という名は、菖蒲沢字大上にあった御所見塚(現存しない)に由来します。

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獺郷・打戻コ-ス

市北西部、小出川上流に位置する谷戸と台地の緑豊かな地区です。延長5年(927)に完成した『延喜式』に宇都母知神社の名が現れることから、古くからの集落であったことがわかります

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