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コース案内(所要時間:約3~4時間)
1.藤沢駅北口5分2.庚申堂1分3.江の島弁財天道標5分4.白山神社5分5.砂山観音堂11分6.笑宿庵跡3分7.本陣跡標柱3分8.常光寺2分9.荘厳寺3分10.永勝寺5分11.伝源義経首洗井戸5分12.白旗神社10分13.妙善寺13分14.真浄院1分15.真徳寺2分16.遊行寺3分17.諏訪神社 6分18.山王神社5分19.感応院5分20.舟玉神社10分藤沢駅
コース見どころ
時宗の総本山遊行寺を中心に、旧東海道藤沢宿を訪ねてみましょう。
鎌倉時代末の正中2年(1325)遊行四代呑海上人が藤沢に遊行寺(正式には清浄光寺、しょうじょうこうじ)を創建しました。呑海上人以降の遊行上人は譲位すると藤沢上人を称して遊行寺の住職になったので、藤沢は諸国遊行の重要拠点となりました。「藤沢」の地名が文献に現れるのもこの頃からのことです。
遊行寺は永正10年(1513)に兵火で全焼し、約1世紀後に再興されて時宗総本山となりましたが、その間にも隣接する大鋸では、地名ともなった製材業や、運送用の伝馬が営まれるなどしました。こうした中で、慶長6年(1601)に東海道藤沢宿が設置されました。
藤沢宿は、江戸日本橋を起点とした東海道五十三次の第6の宿場で、大鋸・大久保・坂戸の3町で構成されていました。宿場が整備されるまでは藤沢御殿と呼ばれる将軍専用の宿泊所が置かれ、17世紀前半に徳川家康・秀忠・家光の三代に利用されました。寛永12年(1635)に参勤交代が制度化されると、大名の宿泊施設として本陣などが整えられます。藤沢宿は、江の島や大山への分岐点として賑わい、天保14年(1843)に人数4089、家数919、うち本陣・脇本陣が坂戸町に1軒ずつ、旅籠屋45と記録されています。

伝源義経首洗い井戸
伝源義経首洗い井戸
義経は兄頼朝に鎌倉を追われ奥州平泉に逃げていましたが、文治5年(1189)藤原泰衡は亡父・秀衡がかくまっていた義経を攻め、ついに衣川で義経を自刃させました。平泉から鎌倉に送られてきた義経の首は、首実験の後に片瀬の浜に捨てられたといわれます。潮にのって境川をさかのぼり白旗神社付近に漂着した義経の首を里人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたということです。一説によれば、鎌倉に入る前に首実験に備え化粧を施したとも、又、夜間に鎌倉方向から、首が目を見開いて亀の背に乗り飛んできたとも伝えられています。